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2018年5月29日 (火)

5月29日(月) 「ツケは地獄だ!」

 

5月29日(月) 「ツケは地獄だ!」
 私は食いしん坊だったので「月は地獄だ!」で一時的に食料事情が良くなった時のメニューやロビンソンクルーソーが工夫をこらして焼くパン(あれ、ケーキだったかな)をウマソー!と思って読んでおりましたとも。なお、デフォーの「ロビンソン・クルーソー」(初版タイトルは「「自分以外の全員が犠牲になった難破で岸辺に投げ出され、アメリカの浜辺、オルーノクという大河の河口近くの無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に海賊船に助けられたヨーク出身の船乗りロビンソン・クルーソーの生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述」)は日本で幕末(安政4年  1857年)に横山保三訳で自費出版されていますが、その時のタイトルが『魯敏遜漂行紀略』だったのでありました。

 スティーヴン・キング 「ジ・アウトサイダー」 クソ面白くって読了25パーセントの段階で早くも「このおじさんはどうしてこんな凄い物語を思いつけるのだろう」モードに突入しております。ラルフたちが予備的な取り調べなどをすっぽかしてしかも公衆の面前でテリーを逮捕したのは多数の目撃証言、そして遺留品に残された血液型や指紋が一致したからである。しかしラルフには一抹の不安がある。酒場の裏手の駐車場でテリーが例の白いバンを青いスバルのセダンに乗り換えたのを目撃した男は「鼻血まみれだったテリーに診療所の場所を聞かれた」 テリーはこの地域の出身でその生涯のほとんどをここで過ごしていた。そんな奴が診療所の場所を知らないなどありうるのか。テリーをアムトラックの駅まで送ったという女性運転手、彼女はバスケットボールチームのコーチで、テリーとは顔見知りだった。彼がスカウトのために良くチームの試合を見に来ていたからだ。しかし、彼はどうも彼女の顔を知らないようだったのだ。

 その危惧はテリーの弁護士、ホーウィー・ゴールドの到着によって早くも現実化する。テリーの話を聞いた弁護士は「あんたら、バカかね。彼は事件当日、キャップシティにいたんだ。それも高校の英語教師の同僚4人と一緒だぞ。キャップシティで行われた英語教師大会に出席していたんだ。彼らの目当ては7月10日の午後に行われた有名なミステリー作家の講演会だった。その後のサイン会にも出ていた。当日の日付が記されたサイン本も持っているそうだ」

 真っ青になったビルとラルフ。苦し紛れにいわゆるキセルアリバイで講演会やサイン会の途中で抜け出して車でフリントシティに戻り犯行を行ったのではないかと考える。もちろん、そんな「金田一少年の事件簿」や「名探偵コナン」みたいな真似ができる訳もなし。4人の同僚に当たったところ、トイレにいったわずかな時間を除き4人の内少なくとも誰か一人はテリーと一緒だったというのだ。

 それでもあきらめきれないビルはテリーを留置場へ送ってしまう。

 仕事はまあ、いろいろあった。これでオシマイ(笑)。食ったもの、朝飯に塩サケの焼いたのと大根おろし、後は鶏ガラスープ。これでゴハンを半合。昼飯は用事があったついでに「赤のれん」でラーメン定食(ラーメン+小炒飯+餃子3個)。滅多に来れないのでついつい替え玉までしちゃったいどうもすいません!夕食は塩サケの焼いたの2枚と大根おろしでビールを飲み、後はホウレンソウとベーコンのスパゲティで仕上げ。この時冷蔵庫に残っていた大蒜をスライスしてオイルに絡めてみたらはい、見事に安っぽいイタリアンの匂いになりました。大名のおっしゃれーな若者の街でよう漂っていますな、この香り。

 後は映画も見ずに音楽聞きながら「ジ・アウトサイダー」に没頭したのである。午後9時すぎにシャワーを浴びてなおも読み続ける。読了まで映画が見られそうにありません(笑)。午後11時半に入眠剤を服用して午前1時半に就寝。

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