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2019年2月17日 (日)

2月16日(土) 献血蝙蝠

 

2月16日(土) 献血蝙蝠
 コウモリよりも蝙蝠と漢字で書く方が妙に恐ろしいのはなぜなのか。かって松本明子が「電波少年インターナショナル」のロケで東南アジアのある国の洞窟に入ったことがあるが、地面が蝙蝠のフンで埋まっていて死ぬほど臭かったそうな。おまけにロケ隊の気配に驚いた蝙蝠がうわんうわんと乱舞する。蝙蝠に取り巻かれた松本明子はひたすら「ぎゃー、ぎゃー」と悲鳴を上げていた。

 やっぱり凄かったよ、あの番組。

 さらに言えばこの番組のロケで与えられた課題をこなせず途中でギブアップした初めての例が「よゐこ」だった。今は中堅としての地位をきっちりと確保し、濱口がアッキーナと結婚したりしているけれども、最初はこんな風だったのだ。

 かってキラー・カール・コックスというプロレスラーがいて、このイニシャルがK・K・Kで(Killer Carl Coxから Killer Karl Koxにわざわざ自分の名前の綴りを改めた)、いまから考えたらすげえなあと(笑)。この人のブレーンバスターは一味違っていて相手を投げるのではなく頭から落とすんである。みるからに危険な技だった(1966年5月の来日初対戦で吉村道明が失神KOをくらっている)。この人はゴングが鳴るなりリングのロープを一生懸命外しだした。ロープで相手の首を絞めるためなのだが、これも凄く変だった。おっさん、真面目にやれと思ったものであった。

  スタン・ハンセンの日本でのデビュー時のあおりは「人間発電所 ブルーノ・サンマルチノの首を折った男」であった。当然、彼の必殺技であったウエスタン・ラリアートで折ったのと思いきや、実はボディスラムの失敗で変な落とし方をして頸椎損傷させていたのだった。ブルーノ・サンマルチノはなかなか性格の良い人でハンセンがニューヨークでプロレスラーとしてのキャリアを築いていくのにあたり色々と親身に相談に乗ってくれたそうである。この関係は頸椎損傷の事故後も変わらなかったという。ブルーノ・サンマルチノはジャイアント馬場の親友であり、馬場は自身の著書で「外国人選手のなかで国内選手と同様の友情関係が保てるのはサンマルチノだけ」と述べている。

 
ハンセンは極度の近眼であり、リング上でも相手がよく見えなかったそうである。あるプロレスラーが控室でハンセンの眼鏡を真っ黒に塗るといういたずらをした。気づかずに眼鏡をかけたハンセンはぎゃーっと悲鳴をあげたそうだ。ハンセンがローリングクラッチホールドを決めた試合を見たことがある。フォールには至らなかったものの、こんな技ができるのだと驚かされた。最もハンセンに関して一番びっくりしたのはこの人が実は親日家(奥さんは日本人)の気のいいおっさんだったことか(笑)。


 タイガー・ジェット・シンは辛い物が苦手だった。タイガー・ジェット・シンは「あんな危険なもの(サーベルのこと)を使わせていつも猪木さんや坂口さんが血まみれにされているから取り締まることはできないのか」とファンに通報されて新間寿と共に警視庁に呼ばれて事情聴取されたことがある。タイガー・ジェット・シンは酔っぱらって他の数人のプロレスラー(上田馬之助、サモアンズ)と共にすすきので暴れてえらいことになった。当時のテレビ番組「ウィークエンダー」で取り上げられて爆笑した。

 当時の「プロレスは八百長だ」論の根拠として「馬場とブッチャーが会場の裏でキャッチボールをしていた」という話があった。それはそれで見たかったと思う(笑)。

 仕事はまあ、いろいろあった。これでオシマイ(笑)。食ったもの、朝飯にコンビニのハンバーガーとコーヒー。昼飯はカップヌードル。夜は某高級焼肉店で弟家族との会食。「K太郎合格祝い、新居完成祝い、私の手術成功祝い」の宴である。まあ、お肉ですからね、特に刺しの入った高級肉はすぐお腹いっぱいになっちゃいますからあんまり食べられないですね。勘定もビールやらハイボールを結構飲んだのに料亭で魚食べるより安く上がりましたから。

 午後8時過ぎにタクシーで帰宅。シャワーを浴びテレビをだらだらと見ながら飲み直し。就寝午前2時過ぎ。

 

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